เข้าสู่ระบบ週末の午後。朱里は気分転換にと、市立図書館へ足を運んでいた。
新しい広告のアイデアを探そうと雑誌コーナーをうろうろしていたのだが、ふと視線の先に、見慣れた後ろ姿があった。 ──平田先輩? 半信半疑で近づくと、やはり嵩だった。 スーツではなくラフなシャツ姿で、テーブルに分厚い参考書とノートを広げている。 「中小企業診断士」と表紙に大きく印字されたテキスト。細かい文字でびっしりと書き込みがされていて、ページの端は折り目だらけだ。 嵩は眉間に皺を寄せ、真剣な表情でペンを走らせている。普段の飄々とした先輩からは想像できない集中ぶりに、朱里は思わず立ち止まった。 (……こんな姿、見たことない) 心臓が高鳴る。 「大嫌い!」と口癖のように言い放っていたのに、こんなに真剣に努力している人を前にすると、胸の奥がざわざわと午後三時過ぎ。 朱里は画面に向かったまま、マウスを握りしめていた。 資料の文字はちゃんと目に入っている。 入力も、確認も、できている。 ――なのに。 スマートフォンが、机の上で震えた。 それだけで、思考が一瞬止まる。 (……違う、仕事中) そう思いながらも、 視線はもう、スマートフォンのほうへ落ちていた。 画面に表示された名前。 平田嵩 胸の奥が、きゅっと縮む。 通知を開くまでに、三秒。 その三秒が、やけに長い。 《今日、帰りに少し話せる? 重い話だけど、ちゃんと向き合いたい》 短い文章。 言い訳も、逃げ道もない。 朱里は、すぐに既読をつけなかった。 (……来た) 昨日の夜、 「全部言わない」と決めたはずなのに。 いざ“話す”が現実になると、 心臓が一気に騒ぎ出す。 重い話。 分かっている。 きっと、転勤のことだ
送信してから、ほんの数秒。 それだけで、嵩は自分がどれだけその返事を気にしているかを思い知らされた。 スマートフォンを伏せたまま、指先だけが落ち着かない。 机の上で、無意識にペンを転がす。 (返事は、すぐじゃなくていい) そう思って送ったはずなのに、 「すぐじゃなくていい」という言葉は、 “いつでもいい”と同じではないことを、今さら理解する。 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。 嵩は立ち上がり、給湯室へ向かった。 コーヒーを淹れる必要なんて、もうないのに。 そこで、望月瑠奈と鉢合わせる。 「あ、平田さん」 いつも通りの声。 いつも通りの笑顔。 でも、今日は少しだけ、視線が鋭かった。 「今日は……なんか、静かですね」 「そうかな」 「はい。静かというか……考え事してる人の背中です」 図星すぎて、笑うしかなかった。 「よく見てるね」 「後輩ですから」 冗談めかして言いながら、瑠奈はマグカップを持つ手を止める。 「……中谷先輩と、何かありました?」
翌朝。 嵩はいつもより少し早く会社に着いた。 誰かと約束があるわけでも、急ぎの仕事があるわけでもない。 ただ、昨夜の続きを、頭の中で終わらせたくなかった。 デスクに座り、コーヒーを一口飲む。 苦味が、やけに現実的だった。 (朱里は、言わなかった) それが、どうしても引っかかっていた。 「好き」とも言わなかった。 「一緒にいてほしい」とも言わなかった。 引き止めもしなければ、突き放しもしなかった。 それなのに── あの夜は、逃げなかった。 嵩はPCを立ち上げ、業務メールを確認する。 その中に、見慣れた件名があった。 【人事異動に関する最終確認】 胸の奥が、ひくりと動く。 “ほぼ確定”だった転勤は、 もう“いつ・どう伝えるか”の段階に入っている。 昨夜までは、 「もう少し一人で抱えよう」 そう思っていた。 でも今は、違う。 朱里は、全部を預けなかった。 だからこそ、嵩も“全部を一人で決める”必要はない。 (選択を、共
朱里と別れたあと、嵩はしばらくその場を動けなかった。 時計を見ると、思っていたより時間は経っていない。それなのに、胸の奥には、ひとつの夜を越えたあとのような静けさが残っていた。 朱里は、すべてを語ったわけではなかった。 迷っていることも、不安も、言葉にした。 でも──決定的な一言だけは、最後まで口にしなかった。 「……言わなかった、んだな」 歩き出しながら、嵩は独り言のように呟く。 それが何だったのか、具体的にはわからない。それでも、あれは“言えなかった”のではなく、“選んで言わなかった”のだと、なぜかはっきり感じていた。 帰り道、朱里の声が何度も思い出される。 「まだ、自分の言葉じゃない気がして」 「決めたら、それは逃げじゃなくなるから」 彼女は、自分の弱さを差し出した。 でも、嵩に寄りかかる形ではなかった。 答えを預けることもしなかった。 それが、少しだけ寂しくて──同時に、ひどく誇らしかった。 嵩は立ち止まり、夜空を見上げる。 もし、朱里があのとき「一緒にいてほしい」と言っていたら、自分は迷わず頷いただろう。 もし、「離れるかもしれない」と言われていたら、引き留める言葉を探しただろう。 けれど、朱里はどちらも言わなかった。
朱里の言葉が終わったあと、風の音だけが二人の間を通り抜けた。 駅前の喧騒は相変わらずなのに、ここだけ時間が一拍遅れているようだった。 嵩は、すぐに何かを言わなかった。 それが朱里には、ありがたかった。 問い返されるのも、掘り下げられるのも、今は違う。 ただ受け取ってほしかった。 「……怖かった?」 不意に、嵩がそう言った。 責める響きでも、探る声音でもない。 事実をそっと置くみたいな、静かな問い。 朱里は少し考えてから、頷いた。 「うん。今も」 それだけでいい。 付け足さなくても、否定しなくても。 嵩は小さく笑った。 「それ、言ってくれてよかった」 「……え?」 「好きだって言われるより、今はそっちのほうが、ちゃんと届いた」 朱里は、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。 言わなかった言葉まで、見透かされたようで。 でも、不思議と嫌じゃなかった。
駅前のベンチに座り、朱里はスマートフォンを伏せた。 嵩に会うまで、まだ二十分ある。 けれど、時間が余っているから落ち着けるわけじゃない。 むしろ、考える時間が増えたぶん、頭の中は騒がしくなっていた。 ──何を、どこまで話す? 昨夜、ノートに書き出した言葉たちが脳裏に浮かぶ。 寂しかったこと 置いていかれる気がしたこと 「大嫌い」と言えば、距離を保てると思っていたこと 全部、真実だった。 全部、重すぎる気もした。 朱里は息を吐く。 「全部言う必要は、ない」 誰に言うでもなく、そう呟いた。 嵩に分かってほしい気持ちはある。 でも、分からせたいわけじゃない。 ──選ぶんだ。 ──今の私が、背負える分だけ。 朱里は立ち上がり、歩き出す。 足取りは軽くないけれど、止まらなかった。 角を曲がった先で、嵩の姿が見えた。 少し早めに来たのか、壁にもたれて空を見ている。 その横顔は、以前よりもどこか疲れて見えた。 朱里の胸が、きゅっと縮む。 (ほら、また)







